ネゴシエーション
プロジェクト、コンペの準備、授業の予習や課題、その他で全く更新できなかったので、久々の更新。
ネゴシエーションの授業が面白かった。
基本、ロールプレイングするのだが、後半2回のネゴシエーションの授業が、今までとは異なる立場で交渉に望めたという意味で、非常に面白かった。
一つのロールプレイングは、ある港を建設することをめぐって、事業会社、規制当局、環境団体、隣り街の港を運営する会社、労働者団体、首長が、交渉のテーブルにつくというもの。
- 事業会社:この状況を、利益が少しでも大きい形で調整しきりたい。
- 当局:この地域への環境、経済のバランスする建設計画であれば、承認したい。
- 環境団体:とにかく環境が守られる形で建設が進むことが大事。建設を断念させられるなら、それはそれでいい。
- 労働者団体:地元から雇用してくれるなら、建設に賛成。
- 首長:労働者団体が支持母体なので、雇用者の意向に沿うような建設計画にしたい。
- 隣り街の港:自分達の利益が失われるので、その補填が大事。計画がポシャルなら、それが一番。
政府で働いていると色々と調整しなくてはならない状況が多かったが、その立場に近いのは、このロールプレイでは事業会社に近い。その特徴は、
①調整のテーブルから外されるということがない
②外からは、どの調整項目に、どの程度配慮しようとしているのかが、読みにくい
- 事業会社が、どの程度、環境に配慮しとうとしているのか(あるいは全く興味ないか)、雇用問題にどの程度の関心があるのかは、外からは明らかでない。
なので、調整していくうえで大事なので、
- 個々の利害関係者との信頼関係の維持
- どの項目にどの程度の関心があるのかを悟られない(これは、後述するシングルイシューの団体が、戦略的に動いてくるのを防ぐ役割がある)
一方、自分は、環境団体としてロールプレイに望んだ。この立場の特徴は、
①外から、どの問題が大事かが見えやすい
- 環境団体にとって、環境問題が最も大事なのは明らか
- 環境団体が、「雇用も大事」といっても、信憑性が低いし、もし本当に他に大事なイシューがあるなら、環境団体としての存在意義がない。
②最悪、調整のテーブルから外される可能性がある。
- 実行主体のようにお金と実行力があるわけでもなく、
- 当局のように権限を持つわけでもないため
- 事業会社、当局が環境問題に興味を示さなかった時点で、調整の立場から外される
この環境団体のように、シングルイシューを首長する利害団体として、調整に望むうえで、大事だと思ったのは以下の3点。
- そのシングルイシューに対するコミットメント
- 例えば、環境団体のトップが(外面がいいから、環境問題を主張しているだけで、環境なんてどうなってもいいと思っていると、調整の輪から外されても特段なにもしないかもしれない。
- また、外面が守られるぎりぎりの範囲ですぐに妥協してしまうかもしれない
- 戦略的に、他のシングルイシューの団体と提携をすること
- 例えば、雇用問題を主張する労働者団体と、「労働問題と環境問題のどちらにも配慮した場合にのみ、お互いに合意する。どちらかに配慮が欠けた場合は、おたがに事業会社の提案を拒否する」等の提携を結ぶ。これは、交渉のテーブルから外されることを防ぐ。
- またこのことは、原発反対派、環境団体等、本来は目的が異なるはずの利害団体が、同じようなことを主張しているように感じることが多いのも、この提携による利害の一致が原因ではないかと感じる。
- このロールプレイでは、「隣り街の港」をプレイしていたクラスメイトから、「自分達への補償額が大きい場合のみ提案を受け入れてくれ。自分達も環境問題に配慮しない案は拒否する」という提案をもちかけてきた
- 規制当局が意思決定する上で、重要な影響を及ぼすことに働きかける
もう一つ面白かったのが、貿易センタービルの跡地をどう利用するかのロールプレイ。主な利害関係は以下の通り。
- 建設会社:跡地に商業施設を作って、利益を出したい
- ニューヨーク市:施設をつくる予算、土地利用に関する権限を持つ
- ニューヨーク州:土地の所有者(つまり、土地からの収入の一部が州に流れる)
- 被害者の家族:跡地には商業施設ではなく、記念碑(利益は生まない)を作って欲しい
- ファシリテーター:利害関係はもたず、ファシリテーターに徹する。
自分は、被害者の家族の役割で望んだ。
この調整で面白いのは、被害の家族以外は、本質的にはお金の問題にしか興味がないこと。(誰がお金を出し、どうやって収益を生み、どのようにその収益を分配するか)
実際に、自分が発言しないと、議論の殆どは、経済的な問題に終始していて、ものすごい孤独感を感じるロールプレイであった。
また、自分が何かを主張したくとも、資金も権限もないので、「被災者への共感」以外に、他の人を動かせるものがない。
逆にいえば、多くの人が共感を感じていれば、経済的なことを抜きにして、支援を得ることができるということでもある。
こういう状況の時に、政府等の立場では、被災者に疎外感を与えないようにする一方、共感の波に圧倒されない、タフさが重要であるように感じる。