「明確な間違え」と「不明確な正解」
Environmental Scienceの授業で「自然災害」について扱ったのだが、そこででてきた、「災害の予測に関するコミュニケーションのあり方」が面白かった。
2009年4月6日、イタリアのL’Aquilaという場所でマグニチュード5.9、死者309名、負傷者4000名を超える地震が起きた。
これだけなら、普通の地震災害だが、特殊なのは、この被害者の遺族の方がなんと、政府の科学者を訴えたのだ。そして、7名の政府の科学者が6年の懲役刑と10百万ドルを超える罰金を払うはめになった。
そして、メディアでは、
「科学者が地震を正確に予知できなかったとして、禁固刑となった」
という報道が繰り返された。
冷静に考えて、地震を正確に予知できないことなど、先進国の人なら誰でも分かりそうなのに、何でこんなことになってしまったのか?
実は、この地震の一週間前に、こんな出来事があった。
地震学者で構成される政府のリスク委員会が、政府に以下の報告をした。
「現在起きている細かな振動が、大きな地震となるような根拠は何もない。従って、大きな地震が起こる可能性は排除できないにしろ、可能性としては低い」
この報告を受けて、政府高官は、以下のように国民に伝えた
「科学者達からの報告によれば、大きな地震の危険性はない。」
この二つの発言は、「科学的な正確さ」と「一般の人への分かり易さ」のバランスを取ることの難しさを如実に表しているではないかと思う。
科学者の報告は、正確なのだとは思う。ただし、この正確な報告を受けても、普通の人は、どう行動していいのか分からない。
「えっ?結局、大地震は来るの?来ないの?」と大方の人は思うか、
「これだから、政府は使えない」と思うのがオチだろう。
では、後者はどうか。
この発言は、正確ではない。ただし、分かり易い。この言葉を受け取れば、
「あー、今日は安心して寝られる」
と思うだろう。
そして、この分かり易いが、間違えた政府のアナウンスを受けて行動した多くの人が、逃げ後れ、崩壊する家の下敷きとなり、命を落とした。
「正確さ」と「分かり易さ」。このバランスをどう取るかに正解はないし、状況によっても違う。
ただし、リスク管理、特に取り返しのつかないことに対するリスク管理の基本が、「最悪を想定し、それを回避できる状況を保つこと」にあるとするなら、
- 最悪を想定する
- 科学者が正確な情報を報告するインセンティブを持つ事
- 意思決定者が、最悪の事態をクリアに国民に伝えること。
- 回避する
- 個々人が、その事態に備えた行動を取ること
- (長期的には)インフラ等の整備を進めること
- 「予測の持つ意味」も明確に伝えること
- 「最悪の事態のアナウンスなので、予測が外れて何も起こらない可能性も大きい」ことも明確にする必要がある。
- この合意がないと、「予想が外れた場合、次の予想を信じなくなる」「今回のように訴える」など、副作用が出かねない。
が大事なように思う。
でも、「それを回避できる状況を保つこと」は難しい。防災グッズ、どれだけの人が常に持っているだろうか。。
ただ、一つだけ確かなのは、このイタリアのケースは最悪だということ。特に科学者を刑務所送りにしてしまった点。
こんなことをしてしまったら、怖くて誰も予想なんてしてくれなくなり、「分かり難くとも、正確な情報」すら得られなくなる。